「普通の幸せ」は自身の中に眠っているという話

思ふこと日記(了)

今までの私にとって「普通の幸せ」は――

・過食嘔吐がないこと

・勤務先に行けること

・夜、眠れること

・失禁しないこと

・確認行動を繰り返さなくてすむこと

・頭の中に誰も話しかけてこないこと

・物音に怯えなくてすむこと

・光や影や気配に怯えなくてすむこと

・自炊ができること

・食後の後片付けができること

・部屋を清潔に保てること

・人の反応が怖くないこと

・人に対する不安がないこと

・将来に強い不安を抱かなくてすむこと

・思った通りに努力できること

・やろうと思ったことにすんなりと取り掛かれること

などでした。

これらの私にとって思う「普通の幸せ」が
私には本当にハードルが高くて

「なんで普通のことが出来ないんだろう…」
と自分を責める日々の私に訪問看護師さんが言った言葉は――

「『普通の生活』が、ものすごく輝かしいものに見えてしまっていないか?
普通の生活って、そんなに素晴らしいものではない」
普通の生活って、自分で選択して生活できること」

これを聞いて、今まで生活の全てを自分で選択していいのに、
成長期に植え付けられた固定観念で自分のことを縛って、
自由なのに全く自由に過ごせていなかった自分に気付きました。

しかも、私にとっての普通の生活の大半は
「○○しなくてすむこと」など「なくなってくれればいいのに」ということばかり。

これがなくなってくれれば普通になれる。
これができるようになれば普通になれる。

そして「普通」に対して、輝かしい幻想を抱く。
だから「普通の幸せが手に入らなかったんだなあ」と感慨深かったです。

自分を苦しめる症状に着目せずに
自分が出来ないことに着目せずに

自分の心の自由を許すことに着目する
自分の選択の自由に着目する

こうしたことをしているうちに、
「嬉しい! 楽しい!」
といったことを小さなことでも感じられるようになりました。

自分の気持ちを飾らずに素直に受け入れて
自分の気持ちに無理をしない言動を選ぶ。

そのときに感じる心地よさ。
これが「普通の幸せなんだなあ」と思います。

これもまた、記事にして「普通の幸せ」に高いハードルを感じている方々に届けたい――

ここまでお読みいただきありがとうございました。

「自分の気持ちの自由を奪わず、普通の幸せを感じられる」方々が増えていきますように――

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